小矢部の里山で自然派カフェ経営、63歳からの挑戦‼

三井アウトレット北陸小矢部の近くの里山の日々をつづります。

ふるさと”木葉里”〔このはのさと〕を守りたい! 

 

 

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11月も中旬、紅葉も終盤を迎える。

木葉里”〔このはのさと〕とは、安楽寺の別称。ただし、明治32年当時の話である。礪波誌の南谷村の項に、次の一文がある。

木葉里 安楽寺の別称である。晩秋の候、隕霜は木の葉を染めて風景佳なり。安居山八景の一に数へらる。」(句読点は筆者が加える)ー礪波誌 明治32年発刊よりー

 紅葉した木々が山を彩っている。日が差すと一段と輝いて、見とれるくらいである。いにしえの頃は、山全体が美しく色づいていたであろうに、今は紅葉しない杉や竹が 青々と広がっている。

 大きくなった杉を見ると、私の幼い頃の風景が甦ってくる。私が小学生の頃、祖父母や母が傾斜地の多い山肌に杉を植林していた。そして、毎年、雪解けの始まる春に、雪の重みで倒れたり、傾いたりした杉を一本、一本引き起こし、棒を立てたり縄で引っ張ったりして守っていた。それから、田植えである。さらに、草取りも終えると初夏になっている。それから、暑い夏の盛りにかけて杉の周りの草刈りをするのであった。長い柄の鎌と共に、家中の大小様々な水筒にお茶を入れていった。その中に私の赤い水筒も有無を言わせず含まれていた。家族だけでなく、近所の屈強なおじさんにもお願いして、草刈りをしていた。夕方には、疲れ切った様子で山から帰って来るのを、ただ黙って見ていた。作業の厳しさを誰も口にすることがなかったので、想像するだけであった。また次の日も、朝早くから支度。祖父は、祖母や母の鎌も砥石で黙々と研いで準備をしていた。杉が生長にするにつれ、枝打ち(枝を切り落とす)の作業もあった。私が手伝ったことと言えば、大学生の春休みに、母と山に入り、傾いた杉を起こしたことぐらいである。杉が大きくなると、一人では起こせない。そんなときは、母と一緒に力一杯引っ張った。

 大きく伸びた杉を見ると、自分や家族の歴史がともに甦ってくる。

 

 今、この安楽寺地域は、大きな曲がり角にきている。あれだけ力を注いできた杉の木は、伸びたままに。倒れたままの木も見える。山に人が入ることがなく、荒れてきている。それだけでなく、稲作が、数人の高齢者によって、細々と営まれているが、このままでは、あと数年で、米作りも限界がくるのである。長年、田の管理を請け負ってきた方が、身体が動かなくなってきたので、あとしばらくで止めると宣言されたのである。

 山や田畑を活かし、人々の生活が営まれる地が里山である。山や田畑での作業を通して、地域の人々が穏やかに繋がってきた。里山を守るために、地域の人たちで知恵を出せないものだろうか。