小矢部の里山で自然派カフェ経営、63歳からの挑戦‼

三井アウトレット北陸小矢部の近くの里山の日々をつづります。

会社名には、林家の先祖の生き様を込めて…

この林家のスタートは、明治27年8月27日。

林伊造(明治7年2月25日生)が分家して

林そとい(明治10年12月10日生)との婚姻により、

林家の歩みが始まった。

私にとって、曾祖父母になる伊造とそとい。

当然、顔は写真でしか知らない。

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初代 林伊造(M7.2.25~S13.9.28)



 

 

林伊造は、村役場に勤め、助役として終えた。

明治37、38年に日露戦争に従事している。

「戦役ノ功ニ依リ」、勲八等を受けている。

これを記した書には、「此位ニ属スル禮遇及ヒ特権ヲ有セシム」、「金百圓ヲ授ケ賜フ」とある。

明治39年の百円は現在の価値にすると、約12500倍(教えてgoo!)にあたるとあった。125万円になる。

その百円は、田畑や山林の購入にあてたようだ。

また、葬儀の際の弔辞の文面が残されている。

村役場の仕事だけでなく、地域の発展のために尽力したとある。

 それ以上のことは、分からないので、母の一子(87歳)に尋ねた。

   私の母は、2代伊造の長女である。一子は、跡取り

   娘として育ち、婿養子・清を迎えた。清は、3代目

   となった。4代目は、登である。登は、平成30年2月

   に4代目となった。

一子は、伊造が亡くなったときは、小学3年生だった。

一子は「なあも、覚えとらんわ」と回答する。 

孫を相手に遊ぶようなことはなかったらしく、

強い印象が残っていないようだ。

仕事に没頭し、寡黙の人だったのか、

それとも、自宅に不在のことが多かったのかもしれない。

 

私の知る2代目の伊造は、初代の伊造と似ているように思う。

稲作や山の手入れ等で黙々と働いていた。

仕事には、夜遅くなっても疲れたと言わず、

収穫を喜びとしていた。

先祖や本家を敬い、

親戚や地域の人たちとの交流を大切にしてきた。

初代伊造の生き様が、受け継がれているのだろう。

 

初代伊造がこの地で分家してから、

今年で124年になる。

 

”温故知新”

安楽寺「林家」の営みに、新しい価値を創造する。

「株式会社 伊造」の設立を決意する。