この林家のスタートは、明治27年8月27日。
林伊造(明治7年2月25日生)が分家して
林そとい(明治10年12月10日生)との婚姻により、
林家の歩みが始まった。
私にとって、曾祖父母になる伊造とそとい。
当然、顔は写真でしか知らない。
林伊造は、村役場に勤め、助役として終えた。
明治37、38年に日露戦争に従事している。
「戦役ノ功ニ依リ」、勲八等を受けている。
これを記した書には、「此位ニ属スル禮遇及ヒ特権ヲ有セシム」、「金百圓ヲ授ケ賜フ」とある。
明治39年の百円は現在の価値にすると、約12500倍(教えてgoo!)にあたるとあった。125万円になる。
その百円は、田畑や山林の購入にあてたようだ。
また、葬儀の際の弔辞の文面が残されている。
村役場の仕事だけでなく、地域の発展のために尽力したとある。
それ以上のことは、分からないので、母の一子(87歳)に尋ねた。
私の母は、2代伊造の長女である。一子は、跡取り
娘として育ち、婿養子・清を迎えた。清は、3代目
となった。4代目は、登である。登は、平成30年2月
に4代目となった。
一子は、伊造が亡くなったときは、小学3年生だった。
一子は「なあも、覚えとらんわ」と回答する。
孫を相手に遊ぶようなことはなかったらしく、
強い印象が残っていないようだ。
仕事に没頭し、寡黙の人だったのか、
それとも、自宅に不在のことが多かったのかもしれない。
私の知る2代目の伊造は、初代の伊造と似ているように思う。
稲作や山の手入れ等で黙々と働いていた。
仕事には、夜遅くなっても疲れたと言わず、
収穫を喜びとしていた。
先祖や本家を敬い、
親戚や地域の人たちとの交流を大切にしてきた。
初代伊造の生き様が、受け継がれているのだろう。
初代伊造がこの地で分家してから、
今年で124年になる。
”温故知新”
安楽寺「林家」の営みに、新しい価値を創造する。
「株式会社 伊造」の設立を決意する。